延命地蔵様のお祭り

私の住む山田垣内に伝わる「延命地蔵様のお祭り」が行われた(8月23日)

お地蔵様は多くは道の辻やその村の中心あたりにあり、人々の生活圏に深く関わるところにおられることが多い。

しかし、私たちの山田垣内の延命地蔵様は人里離れた金剛登山道である山の中に鎮座されている。

垣内の言い伝えによると

百々川北流の上流にあった朝原寺(鎌倉初期を下らない「諸山縁起」に朝鼻寺とある)から流れてきた石仏を村人が拾い上げ、丁重に山の中に御祀りしたという。(祀られた年代は不詳だが、平成の祠改修時の棟木には明治25年(1892)の銘があった)

また、そのお地蔵さんにお祈りすると「胸の病(胸から上の疾患)」の人が救けられたという逸話があり、「延命地蔵さま」というようになったとも伝わっている。

何故、山の中に大きな石をむくりをつけて積み上げて、そこに階段をつけて、祀りを建てたのだろうか⁉️

重機のない頃にどうやって持ち上げたのだろうか⁉️

階段にステンレスの手すりを取付けたのはまだ最近のことではあるが、もうけっこう苔むしている。

山田垣内の皆さんも高齢となり、山の中に登って参拝に行くのも難しくなりつつある。この伝統を守ってくれる人が少なくなっていくのが一番の悩みである。

「山田の延命地蔵さま」は「さんろくカフェ」から朝原寺道を少し登った約350mの位置にある。

金剛登山で朝原寺道を通られる時にはいろいろな思いを地蔵に伝えて参拝して頂きたい。

なお、このお祭りは本来7月23日に行われるが、大規模な倒木のため道が塞がり延期したが、懸命に倒木の排除をして頂いた登山道管理の方々の苦労に深謝した。

注釈:朝原寺について

金剛山転法輪寺の末寺で脇寺六坊(行者坊・長床坊・西室坊・実相院・石寺・朝原寺)や、金剛七坊(修道寺・坊領寺・多聞寺・朝原寺・高天寺・石寺・大沢寺)のひとつに数えられていた修験の寺で、明治維新の廃仏毀釈、修験道禁止令で廃寺となった。